1980年、JKの私の妄想は新たな方向に向かっていた。 ファンタジーの世界を離れ、リアルなイギリス人に憧れ始めた。 私の妄想するリアルなイギリス人とは、ロンドンの長屋とかに住んでいて、工場とかに働いていて、週末はパブでビールを飲んで中産階級を皮肉っているような感じの人たち。
そのころ読み漁っていたアラン・シリトーの小説の影響も大きかったと思う。 シリトーの小説「土曜の夜と日曜の朝」や「長距離ランナーの孤独」の主人公が、めちゃくちゃカッコいいと思った。 「土曜の夜...」は自転車工場に働く青年の話で、主人公のアーサーは土曜日に給料をもらうとパブに行って記憶が消えるまで飲み、喧嘩したり、人妻に手を出したり、クズなんだけれど、絶対権力には屈せず、したたかに生き延びていく。 「長距離ランナー...」は少年院の陸上チームで走らされる男の子の話で、かれもまた反抗的でしたたか者だ。
そういった労働者階級の人たちのことをメロディアスに歌っているのが、スクイーズだったのよ。
初めて聞いたスクイーズはこのアルバムの「恋の傷跡」と「プリングマッスルズ」の2曲。 まるでビートルズを初めて聞いた時のように、こんなにいい曲他に無いわ~って感動したけど、でもアルバムを購入してから、「セパレートベッズ」や「ヴィッキー・ヴァーキー」のような、あまり頭の良くない10代の恋愛をうたう歌詞にもっとキュ~ンとしてしまったの。
「ヴィッキー・ヴァーキー」
その子の髪をかきなでると
フィッシュアンドチップスの匂いがする
琥珀色の街灯の下
彼女が自分のルールで行動する
薄暗い夜の湿った空気が
街の灯りの中に静かに下りてくる
少女はたったの14歳だけど
デートの相手を心から知っている
線路の脇まで上がって
ふたりは
横になって
手を取りあい囁きあう
君は僕のもの、僕は君のもの
月は白く汚れが無く
そして少女は変わりかけていた
始めての味をおぼえてるかい
まだ友達はみんな子供だった頃の
ふたりで歩いていると
面白がってみんなが集まった
少女が大人みたいに腰を振って歩くと
クラスのみんなはクスクス笑った
繁華街を歩きながら、
ふたりはアイスを買っての無駄使い
彼は時には本当に優しかったけど
それは彼の母の真似をしてるだけだった
そのうち彼は少年院に送られた
アパートからステレオを盗んだから
やらざるをえなかったと言う
なぜなら彼女はつわりが酷くてで
そしていつも泣いてて
毎朝つわりはひどくなり
彼女の母親は時々彼女をぶつ
もし母親が本当の事を知っていたら
もっと哀れに思ってくれただろうに
彼は手紙を受け取って承諾した
堕ろすしか方法が無いことを
宿舎でひとり寂しく座って
その手紙を凝視する
もしこれが真実なら
全然公平じゃない
夏が来たので二人は出かけだ
海岸に行ってテントを張った
彼女はキャンプの火で料理し
地元のりんご酒を飲んだ
リュックをかつぐ彼に告げた
もう一度チャンスが欲しいの
たぶん私は
あなたを一生愛する女になりたいと思うの
作家アラン・シリトーも、スクイーズのメンバーも労働者階級の出身だ。 なぜ、極東に住むJKがこんなにイギリスのワーキングクラスに憧れたかと言うと、おそらく、日本にはワーキングクラスが結束するという構造が無かったからだと思う。 日本一億総中流なんて言っていた時代だったのに、なぜかうちはお金がなかった。 父も母も一生懸命働いていたのに、うちはいつも貧乏だった。
でも、俺たちが貧乏なのは、金持ちに搾取されているせいだ、貧乏人から税金取るな、暮らしを保証しろ、なんて叫ぶ奴は日本には居なかった。 そしてみんな中流のふりして、流行りのモノを買って、流行りのことをしていた。
そんな中で私は、反骨精神はあったけど、反抗的な奴=ヤンキーの時代だったので、それもまた自分のスタンスとは違うから、ほんとに、居場所がなかったな。 それで密かに、スクイーズとかジャムとかクラッシュとかバズコックスとか聞いて、イギリスを妄想してたんだ。 ワーキングクラスvsミドルクラスという構造がしっかりできていて、確固としたワーキングクラスの文化を持つイギリスが羨ましかったんだね。
2年前にスクイーズのボーカルのグレン・ティルブルックが近くのライブハウスに来た時のことを以前のブログに書いてます。↓↓