映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見て思ったこと

先週やっと見ることができたフレディー・マーキュリーの伝記映画「ボヘミアン・ラプソディ」。 日本も封切りはアメリカとほぼ同時だったみたいね。 やっぱり日本におけるクイーンの人気ってすごいわ。

私も中学生の頃は姉の影響もあって、クイーンが大好きだった。 中一の時初めて買った洋楽のLPが「オペラ座の夜」だった。 手触りがソフトな紙の真っ白なジャケットで、汚さないようものすごく気を付けていた。

周りにクイーンファンの女子はいたけど、ロジャー・テイラーやブライアン・メイのファンで、フレディー大好き~💛っていう女子は見たことなかった。 私も初め耳から入ったので、フレディのルックスを見て、声とのギャップに唖然としたのを覚えている。ごめんよ、フレディ。

さて、クイーンファンだった私がこの映画をみると、どうしてもフレディ、ブライアン、ロジャー、ジョンの役者が似てるか似てないかに集中してしまう。 一番似ているのがブライアン・メイ、ロジャー役の子はかわいいんだけど、似てない。 話し声が全然違う。 ジョンは雰囲気や表情を似せようとしているのが鼻につく。 そしてフレディは違和感マックス。 キレイな俳優さんが出っ歯を入れて登場しました、って感じ。 しかし物語が進むにつれ、どんどんフレディになっていって、最後のライブエイドのコンサートのシーンは、本当にフレディのステージを観ている気がしたから不思議。 それは、やっぱり、ステージの動きやしぐさを寸分たがわず真似しているからだと思う。 演技力が半端じゃない!

娯楽映画としては十分楽しめた。 私が生涯聴いてきた「ウィー・ウィル・ロック・ユー」とか「地獄に道づれ」などの曲はこんなふうに作られてたのねってわかって面白い。 最後は一緒に歌っていたよ。 フィルムコンサートだね(👈わかる人は中年)。

けど、これはやっぱり、残ったメンバーの視点で作られた話だなって感じた。 死人に口なしで、フレディがちょっとかわいそう。 フレディが好き勝手なことをして、遅刻したり、バンドを出し抜いてソロ活動の契約をしたりしたのは、彼が独り身のゲイだから、ほかの三人のように妻子持ちじゃないから、責任感とか無かったから、ってふうに描かれているように感じたのは、私だけかしら。

フレディ自身が生きていて自伝を書いたとしたら、他の3人の方が、ライフスタイルの違う自分を見捨てたって言うと思うの。 

それにやっぱり最後に支えてくれたのは、ゲイ仲間じゃなくて、ノンケのバンド仲間と昔のガールフレンドだった、っていうのも、なんかなぁ~。 それが真実だったとしても、フレディのゲイの部分にもうちょっとリスペクトしてくれてもいいんじゃないか。

彼がゲイじゃ無かったら、「ボヘミアン・ラプソディー」や「愛にすべてを」のような名曲は絶対に生まれなかったんだし。 あの全身タイツの胸毛開きファッションでバレエダンサーのように踊るフレディがいなかったら、クイーンはただ楽器がうまいハードロックバンドで終わってたでしょ、と思いました。 

 

Q 役者さんとクイーンのメンバーをマッチできる?

f:id:sycoB:20181128142932j:plain