年間ベストアルバム
カーシヴと言うバンドを初めて聴いたのは、夜のトーク番組の歌のゲストで出て来た時だ。 ジワジワ来るボーカル、感傷的なメロディとジャングリーなギター、うわっ、好きだわ、って思った。 その時の映像見つけた。↓↓ youtu.be From the Hips 自分は最悪なと…
不定期に現れるこのエントリー。 洋楽のレコードを買い始めた1978年以降、その年ごとに一番よく聞いたレコードを思い出しながら書いている。 ミレニアム以降は新しいバンドの発見はインターネットに変わった。この頃はネットラジオのLast FMを聴いていた…
私はアメリカに住んでいるけど、ブリット・ロックやブリット・ポップばかり聴いている。 購入するアルバムの7,8割は英国アーチストだ。 なんでこんなに偏っちゃうんだろうって考えるとやっぱりアクセントに魅かれる部分が大きいんだな。 初めてジェイミー…
次から次へと誰かが生み出してくれる音楽を、私は毎日楽しく聴いたり、弾いたり、歌ったりしているけれど、アーチストが売れなくなったときに、音楽以外の仕事でなにが出来るんだろう、音楽業界から消えて行ってしまった人は何をしているんだろう? とアルバ…
それは「僕の大事なコレクション」という映画を見たことがきっかけだった。 ユダヤ系アメリカ人の青年を扮するイライジャ・ウッドがウクライナに自分のルーツを見つけに行くという旅の物語だ。 印象的なひまわりのシーン↓↓ youtu.be ここに出て来る、ウクラ…
2004年は私がデトロイトからノースキャロライナに引っ越した年だ。 いろいろあったな。 ま、それは置いといて、と。 デトロイトにいたころは普通にFMラジオでもインディチャートが聴けたけど、ノースキャロライナに来てからは、私のBGMはネットラジオに…
北欧は行ったことが無い。 エストニアのタリンに行ったとき対岸のフィンランドはすぐそこだったけど、物価が高そうで行くの止めた。 いつかは緑がいっぱいでスローライフの北欧は行ってみたいわ。 投資でもして老後に資産が増えたら行こうかな…って、もう老…
この前の年のストロークスの登場でガレージパンクに再び火が付き、その翌年にはブリテンからリバティーンズが現れた。 その頃、ママ友と姑しか付き合いがなかった専業主婦だったけど、私は密かにロケンロール魂の灯を心に燃やし続けていたんだよ。 リバティ…
ン・チャ・ン・チャ・ン・チャ・ン・チャ♪ン・チャ・ン・チャ・ン・チャ・ン・チャ♪ これが初めて聴いたストロークス。 そう、「ザ・モダンエイジ」のイントロだ。イギリスの音楽雑誌「Qマガジン」の付録のサンプルCDの一曲目に入っていた。それはもう、ベ…
私は母のサイモン&ガーファンクルやジョルジュ・ムスタキを聴いて育った記憶があるけど、娘は私のベル&セバスチャンを聴いて育ったと言っている。 そういえば、レゴで遊ぶ時はよくベルセバをかけていた気がするな。 娘より私の方がレゴに嵌って、迷路のよ…
洋楽を聴き始めた1978年から一年単位でベストアルバムを選んできたけど、1998年は一枚もアルバムを買っていなかった。 娘が生まれた翌年だから育児に忙しくて、あまり音楽を聴かなかったのかな。 なので1998年は飛び越して1999年に行く。 初めて聴いたフィオ…
80年代からインディ・ロックを中心に聴いてはきたけど、90年代のグランジはあまり響いてこなかった。 60年代生まれの私には、ちょっと青すぎるってのもあったし、なんでそんなに苦しいの? それでヘロインやっちゃたの? おばちゃんはそんなことじゃ凹まない…
1996年、四半世紀前か…。 私がデトロイトで大学院に行き始めた年だ。 妊娠して一年で辞めたけどな。 何がやりたかったんだろうな、今でもわかんない。 アメリカでサブライムのこのアルバムがリリースされたのは、ボーカルのブラッドリー・ノーウェルがヘロイ…
中三の時にクラッシュの洗礼を受けてから、自分はパンクが好きだと思っていた。 しかし、クラッシュのレコードは全部あるけど、他には、パンクレコードが、、、ナイ。 ポストパンク、スカ、ニューウェイブのレコードはたくさん持ってるのに、ゴリゴリのパン…
ステレオラブを初めて聴いたのはデトロイト郊外のカフェだった。 たぶん「ピンポン」だったと思う。 めっちゃツボって、曲が終わる前に店員さんにバンド名を聞いてメモった。 その頃ネットとかもなかったから検索とかも出来ず、即レコード屋さんに行ってこの…
私の住んでいたデトロイトは川を挟んで向こう側はカナダの街ウィンザーだ。 お昼においしい中華を食べにとか、ストリップを見に(カナダは規制がアメリカより緩くて、アメリカよりも見せてくれる)とか、20歳の誕生日にバーに酒を飲みに行くとか(アメリカは…
当時私は、超治安の悪いデトロイト市の近郊に住んでいて、周りの白人はみんな黒人を怖がっていたね。 エミネムの映画「8マイル」でも有名な8マイルロードを境界線として 白人と黒人の居住区がはっきり分かれてた。 日本ではぼんやりとしか見えてなかった人種…
この年は、特にこのアルバムをよく聴いたとか、すごく印象に残っているっていう一枚は無いんだな。 アメリカではグランジが全盛期だったけれど、当時すでに20代後半に差し掛かっていた私には、青過ぎるというか、ウェット過ぎるというか、そういう悩める青年…
コクトーツインズは何言ってるかわかんないし、アンビエントな音でなんかやっているな、ぐらいにしか思ってなかったけど、このアルバムは全部の曲を抱きしめたいぐらい好きになった。 デビュー当時からのコクトーが好きだった人にはポップ過ぎるかもしれない…
この年はアメリカから、再びバックパッカーをしにヨーロッパに行ってフラフラして、アメリカに戻ったら、入国審査で捕まって日本に帰れと言われ、日本に戻って学生ビザを取り、再びアメリカでシティ・カレッジに入れてもらった。 結局アメリカに落ち着いたの…
私のレコードコレクションは8割方ブリティッシュなんだけど、このあたりからアメリカーンもぼちぼち増えてくる。 というのも、ふとしたきっかけで、この年に渡米したから。 アメリカでは、日本から持ってきたソニーのウォークマンがステレオ代わりだったの…
私の音楽の趣向はどんどんとダメなものへ、下手なものへ、素人っぽいものへと下降していった。 それはなぜだかわからない。 英国ではアノラックまたはTweeと言われるジャンルの先駆者がこのパステルズ。 なんとなく、気の合う仲間が集まって、自宅でお遊びで…
1986年は仕事を辞めて2度目の渡英をした年。 イギリス中部のバーミンガム周辺の町に4か月ほど暮らした。 外国人のための英語の学校に少し通ったけど、それよりも私はライブに行く方が一生懸命だった。 その間に見たバンドは the Waterboys, the The, t…
1985年、仕事はしていたものの、それ以外は引きこもりの生活だったような。 実家の自分の部屋で、音楽を聴きくことと本を読むことだけが娯楽だったよ。 悶々とした毎日を清めてくれるようなプリファブ・スプラウトのこのアルバム。 レコードアルバム名は…
80年代の前半はデュラン・デュランとかカルチャークラブとかABCとかスパンデュー・バレーとか、ビジュアル系のニューウェーブバンドが流行っていたけど、その波には全然乗れなかった私。 エルビス・コステロとかトーキング・ヘッズとかジョー・ジャクソン…
それまでは、ロックアーチストはみんな自分よりも年上だった。 ボウイーなんてひと回りも上だったし、パンクやニューウェイブのアーチストもみんなちょっと私よりも年上で、憧れみたいなものがあった。 ラフトレードから出たアズテック・カメラのファースト…
1982年は私が初めてイギリスに行った記念すべき年です。 高校三年の夏休みだった。 うちは、決して、決して、夏休みに子供を海外にホームステイさせるような裕福な家庭ではなく、逆に高校を卒業したら即就職ということは暗黙のうちに決まっているような家庭…
このアルバムを聴いた後、私の購入するレコードの8割方がインディレーベルに激変する。 イギリスにはヒットチャートと並んで、インディチャートが別にあるよね。 それはインディバンドとメジャーバンドを同じ土俵で戦わせるのは全く意味がないからだよね。 …
ラフトレードというインディーレーベルのアーチストのオムニバス盤です。 このレコードは確実に私のポップミュージックに対する概念を変えたレコード! 何で知ったかは覚えてないけど、たぶん当時の私の一番の情報源、渋谷陽一のサウンドストリート辺りだろ…
1980年、JKの私の妄想は新たな方向に向かっていた。 ファンタジーの世界を離れ、リアルなイギリス人に憧れ始めた。 私の妄想するリアルなイギリス人とは、ロンドンの長屋とかに住んでいて、工場とかに働いていて、週末はパブでビールを飲んで中産階級を…