ハイウェイ40号線上の女

ノースキャロライナを東西に走る40号線を毎日行ったり来たりしてる中年女は何を考える? 

私の年間ベストアルバム 1982年 Too-Rye-Ey みんなで歌うヒットチャート

1982年は私が初めてイギリスに行った記念すべき年です。  高校三年の夏休みだった。  うちは、決して、決して、夏休みに子供を海外にホームステイさせるような裕福な家庭ではなく、逆に高校を卒業したら即就職ということは暗黙のうちに決まっているような家庭だった。 だから私はロンドンに行くなら今年が最後だって考えた。  高校3年間バイトしまくって貯めたお金と、親が私に車の免許を取るために積み立てをしてくれていたお金を、車なんて乗らない、免許なんて要らない、と親を説得して全部イギリス行のために使わせてもらった。

ホームステイは全て自分で調べて手配して、一人で新潟から急行で5時間かけて成田空港まで行った。 同じグループの子供たちはみんな家族が空港に見送りに来ていて、写真を撮ったり、手を振ったりして別れを惜しみ、見送りが居ないのは私だけだった。  でもロンドンに行けるんだもの、そんなこと全く気にならない。

そのころ、中高生のホームステイ先はアメリカが主流で、イギリスに行くという子はやっぱり音楽ファンが多かった。 クイーン、ビートルズ、中には1982年においてレスリー・マッコーエンに会いに行くという女子もいた。 私は当時はボウイー・フリークだった。 一番仲良くなったのはクラッシュのファンの女の子。 その子と一緒にロンドンのブリクストンでクラッシュのギグを観た。 なんと前座がジャマイカのダブDJマイキー・ドレッドだった! (このあと、その友達が失神して大変だったんだけど、その話はまたいつか…。)

その夏、私がロンドンにいたとき、3週続けでずっとチャートの1位を占めていたのが、デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズの「カモン・アイリーン」だったの。 テレビの「トップ・オブ・ザ・ポップス」でも、ラジオでも、パブでも、ショップでも、どこでも流れてきた。 そして飽きることなく、流れる度に足を止めて聞き惚れた。 

私のホームステイした家は小学生の子供が二人いて、安っぽいレコードプレイヤーにシングル盤をかけて歌ったり踊ったりしていた。 私が来たばかりの頃は、ベルスターズの「クラッピング・ソング」が流行っていて、それを連続してかけまくっていた。 私が買ってきたカモン・アイリーンのシングル盤もそのプレイヤーに乗せた。 ホームステイのお母さんは、「はじめはあんまりだったけど、なんかほんとうにいい曲ねえ。」と勝手に私のレコードをかけるようになった。 家族はみんな「カモン・アイリーン」を歌っていた。 なんかイギリスのヒット曲ってこんな風に広がっていくんだな、って感じたわ。

イギリスから帰っても何年も、カモン・アイリーンを聴くと、ロンドンを思い出して、居たたまれない気持ちになった。

この「カモンアイリーン」が入っているアルバムは、第一曲目の「ケルティック・ソウル・ブラザーズ」という名が表すようにケルト民謡/ブルー・アイド・ソウルに影響を受けたポップで、イギリス以外ではあまり受けないような音なんだけど、「カモン・アイリーン」は世界的にヒットしたのが不思議だ。 やっぱりメロディの良さなんだね。 ビートルズのメロディのように誰が聞いても心に響くメロディなんだ。

アルバムの出来云々よりも、この年の夏の思い出が蘇るので、これを1982年のベストとします。

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