レゲエ・ブリタニア ①

リー・スクラッチ・ペリーの訃報を聞いてから、またダブにハマっている。 レゲエを聴き始めると、ロケンロールに戻るのが難しくなる。 レゲエの心地よさが私を掴んだまま放してくれない。 

私がレゲエを聴き始めたのはUB40から。 その前にもクラッシュの「ハマースミス宮殿の白人」とかポリスの「高校教師」とかは聞いていたけど、たぶんレゲエだとは意識してなかった。 でも、そのリズムやベースラインなど知らず知らずのうちに好きになっていったんだと思う。 

高校一年の時だったと思う。 UB40の”Food for Thought”を初めて聴いて、なんて、なんて、なんて、いい曲だと思った。 こんな曲が存在するなんて! って思ったぐらい感動した。 物悲しいメロディなのに、ボーカルとホーンセクションとリズムに癒される。 1980年だ。 

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Food for Thought / UB40 (1980)

象牙色のマドンナ
砂埃に巻かれて息が絶える
東から来るマンナを待ちながら
空っぽな胸と、虚ろな瞳
空から降ってくる確かな収穫は死

じわじわと骨と皮だけに変わっていく
死んでいるのかよくわからない男
赤ん坊の目から老人が覗いている
ナイフを研ぎながら政治家は論じる
子供の命と引きかえに契約を持ち出す

象牙色のマドンナ 砂埃に巻かれて息が絶える
東から来るマンナを待ちながら

ベルが鳴る クリスマスが近づいている
天使の声が聞こえる
何を歌うのか
飲んで食べて歓喜にわきたつ
マリアの御子、イエスが今宵生まれる

<syco訳>

 

クラッシュとマイキー・ドレッドのシングル「バンクロバー」が出たのも1980年だ。 マイキー・ドレッドのトースティングのユルユルのテキトー感が妙にカッコよく思えた。 クラッシュよりもカッコ良く見えたよ。

 

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Bankrobber / the Clash (1980)

親父は銀行強盗をやっていた
でも人を襲ったことはない
親父は大好きだったんだ
あんたの金を盗むことがさ

金持ちも居れば貧乏人もいる
それが世の中ってもんだけど
寝そべって自分の運の悪さを語る
そんなことは絶対ごめんだ

それで人生楽しむことにした
シャベルを持って働いたり
腰を痛めて稼ぐなんてしない
そして人に媚びへつらうなんてこともね

親父は銀行強盗をやってた
でも人を襲ったことはない
親父は大好きだったんだ
あんたの金を盗むことがさ


親父はもういない

親父はバーで話してた
刑務所に入ったことは無いが
一生同じ機械を回してるのは
刑務所よりも10倍過酷だ

もし刑務所に入っている男が全部
いっぺんに出てこれたら
上手くやってる俺たちに
いったい何ていうだろうな

いつかお前も揺り椅子に座る
それが俺たちの行く末だから
白髪が混じって禿げてきたとき
髪をとかす意味も無くなる

俺の親父は銀行強盗をやってた
でも人を襲ったことはない
親父は大好きだったんだ
あんたの金を盗むことがさ
<syco訳>

 

その頃、ロンドンのポストパンクバンドがダブをやりだした。 ニュー・エイジ・ステッパーズ、スリッツ、ヴィヴィアン・ゴールドマンなど。 エコーやリバーブ、シャンシャンする音、チリンチリンする音、今までのロックを聴いてきた脳ミソの別の部分を使って聴いているような気がした。  ヴィヴィアン・ゴールドマンのランドレットは名曲中の名曲だと私は信じてる!

 

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Launderlette / Vivien Goldman (1981)

私たちが出会ったのはコインランドリー
私の洗濯物の袋が破れて、服がビショビショ、
私は誰かの手が必要で、
彼はアパートを住むところを探していた

そこから私たちが下り坂を転げ落ちて行ったのを、
あなたのせいにはしたくないけど
私はあなたを追い出すことができない
コインランドリーだって一緒だし、
あなたの靴下と私の靴下が、
乾燥機の中で一緒に回る
あなたのジーンズが私のシャツに絡まる
あなたから離れることができない

あなたはいつもだらしなくて、
髪の毛がそこらへんに抜け落ちていても平気だし
汚いコーヒーカップも2週間も置きっぱなし
出て行ってほしいのだけど、
それが言えない私
コインランドリーだって一緒だし、
あなたの靴下と私の靴下が、
乾燥機の中で一緒に回る
あなたのジーンズが私のシャツに絡まる
あなたから離れることができない

<syco訳>

あ~、日本の田舎のJKなのに、心はロンドンだった痛い高校時代を思い出すぜ…。

最近、レゲエ・ブリタニアというドキュメンタリー映画を見た。 英国にレゲエが浸透したのは、ジャマイカが英国の植民地だったから。 独立が1962年なんて、比較的最近のことだ。 ビートルズが結成したころはジャマイカはまだ英国植民地だったんだね。 

ジャマイカからの移民がレゲエを鳴らしていたわけだけれど、80年代になるまで英国のラジオでジャマイカン・レゲエは流れることはほとんどなかったらしい。 歌詞も黒人解放やガンジャ(マリワナ)やラスタファリアニズムがめっちゃ出てくるしね。

ポリスやUB40はラジオで流れても、本場のレゲエはオンエアされない。 ボブ・マーリーさえも、エリック・クラプトンのカバー・バージョンの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」は1974年にヒットチャートの上位まで行ったのに、本人はヒット無しだ。 

だから、ジャマイカ移民は、通りにデカいスピーカーをいくつも積み上げたサウンドシステムを運び出して、ボリュームマックスで聴いていた。 そういうストリート・ミュージック的なところが、パンクやポストパンクにアピールしたんだろうね。

そのあと英国では2トーンのスカブームが巻き起こって、こんどは私はスカにどっぷり嵌ってしまった。 その話はまた後で。

 

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