ティーンエイジャーのうた プレイリスト ① 13歳 I Know Very Well How I Got My Name, Penpals, Styrofoam Plates

 大晦日も新年も無視して、好き勝手なテーマで書くのよ。 前のエントリーで、周りはみんな「2018年のベスト」を書いてるのに、なぜかここだけ「1983年のベスト」になってたけど、気にしない、気にしない…。 

さて正月休みは暇な私は、ティーンエイジャーと言われる13から19までの年齢が歌詞に出てくるお気に入りの曲を、集めてみたいと思います。

年齢が含まれている洋楽の歌詞で一番多い数字は何だろう? これを調べた奇特な人によると17歳がダントツで多いそう。 欧米の皆さんはやっぱりハイスクールの最後の年が華なのね。 

まずは最年少の13歳から。

 

★I Know Very Well How I Got My Name - Morrissey  (1988)  

モリッシーおじさんの13歳の時の初恋です💛。

 

13歳で、
髪を金色に染める奴
あぁ、よくわかっているよ、何も言わないで

君が僕の初恋の人だと思っているけど
それは違うよ
君は僕の最初で最後の人なんだ
そして僕の前を通り過ぎて行った人

 

もちろんモリッシーの初恋は男子よ。 Who dyed his hair gold だから、「彼の」という代名詞が使われているもの。

キレイな曲です↓↓

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★Penpals - Sloan  (1994)

昭和生まれの多くは中学生の時、海外ペンパルを奨励された経験があるのではないか。 「ペンパル」って死語かしら? 「文通」って意味ね。 もしかして文通も死語? 今でいう「メル友」ね。 メル友も終わったとは言わないでね。 おばちゃんついていけないから。

昭和は全世界で中学生が手紙を交換し合ってたんだね。 この曲の歌詞はいろんな国の中学生がペンパルに書いている手紙文になってて、内容が中二病っぽくてウケる。 

僕はノルウェイ男子です
そして君に質問があります
僕はまだ13歳だけど
君に夢中です

何かそちらのおみやげを送ってくれませんか
それと君の髪も一本ください
解説をつけて
そして、君だけが写っている写真もお願いします

 

スローンはカナダのインディバンド。 曲はめっちゃカッコいい↓↓

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★Styrofoam Plates - Death Cab for Cutie  (2001)

私だって、最近の曲も聞いてるのよ。 そう、おばちゃんは2000年以降はみーんな最近だってさ!

 

家族で集まってごちそうを食べるアメリカの祭日である「サンクスギビング」の、寂しい思い出を歌った曲。 この日は一年で一度、アメリカ全体がたらふく食べる日なので、シェルターや教会などでチャリティーによる炊き出しも行われ、貧困層でもホームレスでも伝統的なサンクスギビングの食事にありつける。  

母子家庭で育った彼が、13歳の時のサンクスギビングの日の夕食を教会のホールで食べたことを、父の葬式で思い出している歌だ。 タイトルは「発泡スチロールの皿」です。

 

壺の上には海水の膜ができ
僕は遺灰を海に撒いたが
逆風で戻ってきて目に入り痛い
死んでも僕を苦しめる 生前のあんたがしたこと変わらない

あんたは父親なんかでなく
種を蒔いただけと言っても言い過ぎじゃない
母はたった一人で苦労して僕たちを育てた
あんたが私腹を肥やす金は
僕たちは見ることが無かった

13の時
デンバーの郊外にあるカトリックの教会で
サンクスギビングの炊き出しの列に並んだ
ボランティアの人たちは十字架を付けて
ごった返す貧乏人らを迎え入れた
ホールのテーブルには発泡スチロールの皿が置かれ、
安ワインの臭いと哀れさが漂う
そして僕は思う、毎年思う、あんたのことを 
僕らの幸運の数を数える時
そしてこんなところで何してるんだろうって思う時に

あんたは家族というものに恥を塗った
牧師の話は長いが、
それについては一言もないから
僕は立ち上がって叫びたい
哀悼は静かに行われても、
スーツ姿で美辞麗句を並べ立てても僕は信じない

哀悼を述べる列には加わらない
父を悼む薄っぺらな言葉を並べはしない
父が死んだからって事実は変わりはしない
生きている間ゴミだった奴は死んでもゴミ野郎だ 

(Syco訳)

 

ゴミ野郎!!と歌ってるけど、しみじみとしたいい曲です↓↓

youtu.be

 

 

私の年間ベストアルバム 1983年 High Land,Hard Rain 10代最後のメランコリー

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それまでは、ロックアーチストはみんな自分よりも年上だった。 ボウイーなんてひと回りも上だったし、パンクやニューウェイブのアーチストもみんなちょっと私よりも年上で、憧れみたいなものがあった。

ラフトレードから出たアズテック・カメラのファーストアルバムは衝撃的だった。 と言うのはアズテック・カメラの中心人物、ロディ・フレイムは私とタメ年だったから。 彼はボウイーを聴いて育って、パンクに洗礼を受けて、そして、「ジョーストラマーのポスターの後には何も貼るものがない」(“Walk out to Winter") と歌う。 世代が同じだから、親近感は湧くのだけど、好きなアーチストが自分と同年生まれという時代が来たのはショックだった。 なんか急き立てられるような気がしたのね。

19歳なのに、アコギがフラメンコのギタリストみたいに上手で、言葉の選択が文学青年しているメランコリックな歌詞で収録曲10曲全て良い曲で、駄作は無し。 天才かとも思ったよ。

その翌年に中野サンプラザでアズテック・カメラの来日公演が観れたのね。 そしたら、なんかアコギ持って出てきたロディはシャイで子供っぽくて、文化祭でコンサートを見ているようだった。 ヴァン・ヘイレンのカバー、「ジャンプ」をオリジナルとは真逆のロー・ファイで、歌ったとき、「ジャンプ!」のところで、ピョンと横向きに飛び跳ねユルめのギャグを披露してた。 神童的なイメージがあったのに内向的な普通の青年が頑張ってますって感じで、ますます親近感が持てたわ。 

アルバムは「君に捧げる青春の風景」などという、トンデモない邦題がつけられていて、一曲目の "Oblivious"の邦題 は「思い出のサニービート」などといって、さらにドン引きするんだけど、この曲は素直にガールフレンドの足音が聞こえてくると嬉しくなるよって歌だと思う。「思い出」も意味不明な「サニービート」という表現も歌詞には無いよ。 

ロディ・フレイムの歌詞はポストパンクのようなシニカルさが無く、キレイな言葉で綴られている。  

一番好きだった曲は "Piller to Post"だ。サビの部分

以前は僕はこの上なく幸せで
カバンを詰めて自由の道へと向かった
あちらこちらとあても無くさまよった僕にとって
それらの苦い証跡は僕には何の意味も持たない

これは社会人一年目の私にとっても、ほろ苦く感じましたね~。

そして最後に収められている曲 "Down the Dip" は涙が出るくらい好きでした。 

僕は愛と美しさの全てを
夜の魂に込めて
そして僕の乗車券をしっかりと握る
愚かさや苦しみも
その乗車券に込められ
僕は君と一緒に急降下するよ

うーん、このビデオを観ると、「君に捧げる青春の風景」も案外ぴったりじゃん、て思います↓↓

youtu.be

 
 

 

 

 

私の年間ベストアルバム 1982年 Too-Rye-Ey みんなで歌うヒットチャート

1982年は私が初めてイギリスに行った記念すべき年です。  高校三年の夏休みだった。  うちは、決して、決して、夏休みに子供を海外にホームステイさせるような裕福な家庭ではなく、逆に高校を卒業したら即就職ということは暗黙のうちに決まっているような家庭だった。 だから私はロンドンに行くなら今年が最後だって考えた。  高校3年間バイトしまくって貯めたお金と、親が私に車の免許を取るために積み立てをしてくれていたお金を、車なんて乗らない、免許なんて要らない、と親を説得して全部イギリス行のために使わせてもらった。

ホームステイは全て自分で調べて手配して、一人で新潟から急行で5時間かけて成田空港まで行った。 同じグループの子供たちはみんな家族が空港に見送りに来ていて、写真を撮ったり、手を振ったりして別れを惜しみ、見送りが居ないのは私だけだった。  でもロンドンに行けるんだもの、そんなこと全く気にならない。

そのころ、中高生のホームステイ先はアメリカが主流で、イギリスに行くという子はやっぱり音楽ファンが多かった。 クイーン、ビートルズ、中には1982年においてレスリー・マッコーエンに会いに行くという女子もいた。 私は当時はボウイー・フリークだった。 一番仲良くなったのはクラッシュのファンの女の子。 その子と一緒にロンドンのブリクストンでクラッシュのギグを観た。 なんと前座がジャマイカのダブDJマイキー・ドレッドだった! (このあと、その友達が失神して大変だったんだけど、その話はまたいつか…。)

その夏、私がロンドンにいたとき、3週続けでずっとチャートの1位を占めていたのが、デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズの「カモン・アイリーン」だったの。 テレビの「トップ・オブ・ザ・ポップス」でも、ラジオでも、パブでも、ショップでも、どこでも流れてきた。 そして飽きることなく、流れる度に足を止めて聞き惚れた。 

私のホームステイした家は小学生の子供が二人いて、安っぽいレコードプレイヤーにシングル盤をかけて歌ったり踊ったりしていた。 私が来たばかりの頃は、ベルスターズの「クラッピング・ソング」が流行っていて、それを連続してかけまくっていた。 私が買ってきたカモン・アイリーンのシングル盤もそのプレイヤーに乗せた。 ホームステイのお母さんは、「はじめはあんまりだったけど、なんかほんとうにいい曲ねえ。」と勝手に私のレコードをかけるようになった。 家族はみんな「カモン・アイリーン」を歌っていた。 なんかイギリスのヒット曲ってこんな風に広がっていくんだな、って感じたわ。

イギリスから帰っても何年も、カモン・アイリーンを聴くと、ロンドンを思い出して、居たたまれない気持ちになった。

この「カモンアイリーン」が入っているアルバムは、第一曲目の「ケルティック・ソウル・ブラザーズ」という名が表すようにケルト民謡/ブルー・アイド・ソウルに影響を受けたポップで、イギリス以外ではあまり受けないような音なんだけど、「カモン・アイリーン」は世界的にヒットしたのが不思議だ。 やっぱりメロディの良さなんだね。 ビートルズのメロディのように誰が聞いても心に響くメロディなんだ。

アルバムの出来云々よりも、この年の夏の思い出が蘇るので、これを1982年のベストとします。

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映画 Happy As Lazarro(Lazzaro Felice)

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今年見た中で一番良かった映画。 といっても、劇場で観たのじゃなくて、ストリーミングサービスのネットフリックスで偶然見つけた映画だった。

日本ではまだ公開されていないけど「幸せなラザロ」 というような題名になるんじゃないかな。 

舞台はイタリアの貧しい農村地帯で、農民は集団でタバコを作っている。 身なりからして、20世紀の初めぐらいの話かと思いきや、始まってから20分ぐらいしたら、地主が現代の服装でバイクに乗って現れ、その息子はヘッドホンで音楽を聴き、ケータイまで持っているではないの!

なんと、この村は人里離れたところにあるらしく、外界とはつながりを持たず、小作人制度はとうの昔に廃止されているにもかかわらず、地主は村人をだまして労働を搾取しているのよ。

村人たちは教育も受けず、毎日タバコ畑で働くことしか知らない無知で純朴な集団なんだけど、その村人からも、いつもぼーっとしているとか言われている青年が主人公のラザロだ。  ラザロはいつも、微笑んで他人の仕事まで手伝い、自分のものを人に分けてあげたり、困っている人をみれば手を貸さずにいられない。 彼が素直なのをいいことに、村人はいつもラザロをいいように使って、感謝もしないし、小ばかにしたりする。

ラザロはキャラとしてはトルストイの「イワンのバカ」のイワンに似ているけど、イワンは善行が運を呼んでどんどん出世するけれど、ラザロはただ搾取されまくるだけ。 それでも絶対に人を疑うなんてことは学ばないの。  悪人なんてラザロの世界には存在しないのよ。 だから、幸福なラザロなの。

ラザロは聖人? 宇宙人? もしくはただのバカ? こんな人が身近にいたら、自分ならどうする? 

搾取する側は当然のように弱者を搾取し、搾取される側も当然のように搾取されている。 歴史的にみれば、革命が起こるはずなんだけど、何の疑問も持たない人間もいる。 それが幸福と言っていいのだろうか。 ラザロの人間離れした善人さは尊ぶ域を超えて、すごく不安にさせる。 

私にとって良い映画とは心がぐちゃぐちゃに乱される映画。 これはそういう作品だ。

今年のカンヌ映画祭で脚本賞を取ったから、多分日本でも公開されると思うよ。

ラジオの歌 ③ Starman, On My Radio, Rock & Roll

3.Starman / David Bowie (1972)

夜中に一人でラジオを聴いていると、不思議な音が入ってきて、それがスターマンから子供たちへのメッセージだったっていう歌です。  

今ではボウイーがスターマンになっちゃいました。 しみじみしちゃいますね~。 

スターマンからのメッセージは

Let the children lose it
Let the children use it
Let all the children boogie

なんだけど、これがいろんな人がそれぞれ違った和訳をしてる。 文がすごくシンプルが故に訳しづらい。"It"が何を指しているかわかんない。直訳だと、「それを無くそう、それを使おう」になるけど、論理的に考えて、無くしたら使えないよな。 

lose it” は慣用句でキレるとか我を無くすみたいな意味があるんだよね。「子供たちにいったん理性を失くさせて、それを体験させて、そしてブギを踊りましょうよ」って感じかな。 この頃、ボウイーも息子ができたせいか、新しい世代に向けて呼びかけるような詩が多かったような気がする。 こんな曲がラジオから聞こえてきたら、感化される若者はきっと多かったと思うわ。

このビデオの"Pick on you ♪"って歌うところで、ボウイーがカメラ目線で、指をさすところがたまりません💛

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2. On My Radio / The Selecter (1978)

大好きな2トーン・レーベルのスカです! スペシャルズの次に好きだったセレクター。 ポーリーンが元気で可愛くってね。

 

せっかくラジオを彼に買ってあげたのに、それにあわせて踊ってばかり。 そして結局は捨てられて、残されたラジオには馴染みの番組が流れてるだけ…。 

 

ラジオから流れてくる曲にのって、踊り狂ったことはないし、そんな人も見たことはないけれど、ジャマイカのキングストンや、イギリスのジャマイカ移民居住地区の路上でスカダンスをするルードボーイを想像して楽しくなる。

本当はフラれて悲しい歌なんだけどね…。

私はカーステから流れてくる曲で上半身ダンスはよくしてるかな。 主に首と肩の動きが中心のダンスです。

 

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1. Rock and Roll / the Velvet Underground (1973)

この曲を一位に翳したいがために、このリストを作りました!

 

ジェニーが言うには、5歳の時
なんにも面白いことが無かったんだって
ラジオを点けても
面白いものはなんにも流れてこないんだって
全くなんにもね

それである晴れた日のこと、ニューヨークのラジオ局を聴いてみた
そこから流れてる音を聴いて、耳を疑った
その飛び切りステキな音にのって、からだが動き出した
わかるだろ、その子は、ロックンロールに救われたんだよ

すべて持っていかれたって
ただ、おもてに出て
ラジオから流れるロックンロールで踊ればいいんだ
それで充分 そうだろ
それでいいんだ

ジェニーが言うには、5歳ぐらいの時
親は自分にとっては死ぬほど退屈な存在で
二台のテレビと二台のキャデラック
わかるだろ、そんなんで楽しめるわけがない

それである晴れた日のこと、ニューヨークのラジオ局を聴いてみた
そこから流れてる音を聴いて、耳を疑った
それから、その素敵な音にのって、踊りだした
わかるだろ、その子は、ロックンロールに救われたんだよ
そうさ、ロックンロールさ

すべて持っていかれたって
ラジオから流れるロックンロールで踊ればいいんだ
そうだろ、それで充分
それでいいんだ
あ、あの子が来たぜ

すべて持っていかれたって
ラジオから流れるロックンロールで踊ればいいんだ

それでいいんだ
それで良かったんだ
聞いてくれよ
それで良かったんだ
そうだろ、信じてくれよ
それてよかったんだ
それでいいんだ、それでいいんだ
もう大丈夫
もう大丈夫
もう大丈夫
Oh baby, oh baby
oh baby, yeah-yeah-yeah-yeah
もう大丈夫だよ、心配ないよ
ほんとにもう大丈夫さ

ラジオから流れてきたロックンロールが少女を救ったんです。 これって私のこと?っていったら少女じゃねーだろ、このババぁふざけるな!ですけど私は音楽で救われてます。 音楽の即効性はハンパじゃない。 私は根は楽天家だと思うけど、もしも音楽を聴いても何も気持ちが奮起しなくなったら、 って考えるだけで怖い。 音楽に代わるものなんてあるかしら。

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ということで、ラジオは人生を変えたり、人を救ったり、慰めたり、踊らせたりするのです。 あ、していたのです(過去形)。  

ラジオのうた ② Burn it Down, Good Guys and Bad Guys, Radio Radio

ラジオのうた、続きます。 

6.Burn It Down / Dexys Midnight Runners (1980)

冒頭の1分間はラジオをチューニングしている音です。 はじめはディープ・パープルが聞こえてきて、それからセックス・ピストルズ、そしてスペシャルズで、そこで「あぁ、もういいかげんにしてくれ」ってケビン・ローランドが嘆いてから歌が始まる。

アナログラジオのチューニングのウィーン、ブィーンというノイズが懐かしすぎる。 中学にあがって買ってもらったラジカセで、音楽聞いて、*エアチェックしてた。 (*注:エアチェック-ラジオの曲をカセットテープに録音すること)。

この曲は歌詞にラジオは入ってないよ。 ラジオのチューニングが懐かしかっただけ。

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.Good Guys And Bad Guys / Camper Van Beethoven (1986)

いきなり、キャンパー・ヴァン・ベートーベンです。 このアメリカの80年代のカレッジバンドを知ってる人いるのかなぁ...。 アメリカでは「スキンヘッドをボウリングに連れて行こう!」って曲だけちょこっと有名です。 

良い奴や悪い奴や、 
ヤクザも泥棒もいれば
医者や弁護士もいる

そしてボクやキミのような人もいる

だからラジオを聴くときはハイになろう
リラックスしてうたを歌おう
キミの車を芝生に乗り上げて
キミのギターを弾かせてよ

このうたの二番はロシア人に贈る
でもロシアってめちゃくちゃ遠いよね
ロシアまで聞えないよね
まぁ、英語もわからないだろうしね

てことで、アメリカに生まれたことに感謝しようよ
リラックスして自分の好きなことしてさ
だってアメリカに生まれなかったら
たぶん他のところに生まれてただろうからさ

だからラジオを聴くときはハイになろう
リラックスしてうたを歌おう
キミの車を芝生に乗り上げて
キミのギターを弾かせてよ

(Syco 訳)

この葉っぱ吸って書いた感が拭えないアホみたいな歌詞が、メロディアスなフィドルの音とぴったり合って、名曲となっている(私の中で)。

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4.Radio Radio / Elvis Costello (1978)

コステロのメロディはほんとにいいね。 聞け、聞け、聞け、聞け、の合いの手が入り、聞く、聞く、聞く、聞く、と返したくなるような、元気な歌です。

夜中に光るラジオのダイヤルを回して
ラジオが言うことは何でも聞いていた
深夜番組がかけるレコードに
僕は涙を流したものだった
受信機が古くなってスイッチが壊れた時
本気でどこかにしまおうと思った
ラジオから聞こえてきた言葉が信じられなかった
僕らはもう制御しきれないって本気で思っているんだ

ラジオは音で救済する
ラジオは国民を浄化する
理性の声を聴きけという
でも選択権はない なぜならそれは反逆罪だから
だから、言われたことをやるといいよ
ラジオを聞いたほうがいいよ

この曲は1978年において、ラジオが検閲によってコントロールされていることに、若きエルビス・コステロ青年はいたく憤慨し、抗議すべく叫んだ歌みたい。 それだけラジオが影響力を持っていたんだね。 78年で昔は良かったって歌っている。 そんなら、今はどうよ。 

今はメディアは多様化しているから、聴きたいもの、見たいものは何でも見れるし、なんでも発信できる。 でも、フィルターがない分、変なもの発信すると、炎上しちゃうから怖いね。 

アメリカの「サタデーナイトライブ」という生放送の人気長寿番組があります。 舞台でコントをするお笑い番組で、毎週歌のゲストを呼ぶ。 それにコステロが出演したとき、レディオ・レディオは歌うなと言われたのに、いきなり、途中からレディオ・レディオを歌いだして、それ以降エルビスは12年間この番組に出演禁止されたらしい。 その様子のビデオです。↓↓

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コステロ青年、青い、青すぎる!! ついでに衣装も青い。

 

ラジオのうた ① Do You Remember Rock'n'roll Radio, Oh yeah, On Your Radio, Hitsville UK,

歌詞の中にラジオが入っている曲ってたくさんある。 ミュージシャンはみんなラジオを聴いて育ったんだなって思う。 あの時、ラジオからあの曲が流れてきた、みたいな思い出をうたう曲が多い。 その中で私の好きな10曲を、またベストテン形式で。

 

10. Do You Remember Rock'n'roll Radio  / Ramones  (1980)

ロックンロールラジオを憶えているかい?
あのめちゃくちゃ楽しかったころを憶えているかい?
エドサリバンショーとかシンディグ!とかの歌番組、
マレー・ザ・Kとかアラン・リードとかエネルギッシュなDJ達
ベッドで毛布をかぶって聴いていたあの頃
どうにかしなくちゃ、はやくどうにかしなくちゃ
ロックンロールが過去の遺物となってしまう前にさ

ラモーンズってパンクバンドって言われてるけど、ほんとにそうかな。  めっちゃ懐古主義じゃん。 私だってエドサリバンショーとかわかんない。 そんなに楽しかったのかなぁ…60年代初期のロックンロールって。 でもこの曲からどんだけ良かったのかは伝わってくるね。

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9. Oh Yeah (on the Radio) / Roxty Music (1980)

 彼女と一緒にドライブしてきたときにラジオから聞こえてきた 「オー・イエーィ」という曲を、二人の歌にしようねって決めた、甘い夏の日...。 彼女と別れた今でもこの曲が流れると涙が出る…。 

というようなベタな歌詞で、あのアートロックしてた70年代から、あらま、ムード歌謡に変わったの? て思ったけど、哀愁漂わせたフェリーさんが今にも泣きだしそうな感じで歌っているので、愛らしくって好きだわ、この曲。 

ラジオから流れてきた「オー・イエーィ」って誰のどんな曲なんでしょう?  

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8.On Your Radio / Joe Jackson (1979)

いじめっ子、元カノ、クラスの仲悪かった奴ら
昔の上司ら、くそ意地悪かった先生、
ざまあみろ、俺の今を見ろ、俺とコンタクト取ろうってったって無理だぜ
お前らできるのは俺の歌をラジオから聴くだけだ
俺の歌をラジオから聞くだろう
俺はスター、お前ら凡人、さまあみろ

て感じの、劣等感の塊、ジョー・ジャクソンさん復讐の歌です。  ジョー・ジャクソンの初期はなんかみみっちいことで怒っている歌が多くて、ダメっぽくて好きだ。 あ、洗練された後期のジャクソンも好きよん。

屈折した奴はカッコいい↓↓

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7.Hitsville UK / The Clash (1980)

ミック・ジョーンズの彼女エレン・フォーリーがボーカルを取っていることから、堅気なクラッシュファンからは冷たくあしらわれりするこの曲だけど、私は大好き。 だって、イギリスに現れたインディ・レーベルのことをうたった歌だもの。 

When lightening hits small wonder
It's fast rough factory trade

この部分に、インディ・レーベルの名前が隠されているよ。 キュアのスモールワンダーレコード、ニュー・オーダーのファクトリー・レコード、そしてラフトレード! ヒッツヴィルUKはヒッツヴィルUSAに対抗して付けたと思う。 ヒッツヴィルUSAはモータウンレーベルの別称です。モータウンだってはじめはデトロイトの小さなインディ・レーベルから始まったんだよね。

 

涙を流したり、恐れを克服しながら
この地で奮闘し
盗んだギターか中古ギターで
録音したデモテープ
たった1000枚売れるのも期待せず
イギリスにもヒッツヴィルがあるような気分で
その少年は一人ぼっちだったと思う
ヒッツヴィルがイギリスにやって来るまで

真の才能は必ず、時が来れば発揮できると言う
雷が神童に落ちる時のように
製作側による直接販売で
無駄な出費やランチでの交渉や
ヒットチャート対策を省き
バンドはリングに入り、2分59秒でノックダウンさせた

口先ばかりで調子の良い汚い契約抜きの、イギリスのヒッツヴィル
揺り動かそう、僕らが経営するイギリスのヒッツヴィル
変人や奇人やマッチョさえも、
木の葉のようにひらひら舞い落ちる
一週間つまらない音ばかり流してたラジオに
デカイ穴を開ける
自分の部屋にマイクがドカーンと鳴るイギリスのヒッツヴィル
消費者サンプルもAORも抜きのイギリスのヒッツヴィル
もう子供たちは一人ぼっちじゃない
ヒッツヴィルがイギリスに来た

<Syco訳>

ラジオって自分の部屋で一人で聞いていることが多いから、そこに外界からの声がやってくるってことで、なんか一人じゃないって気分になるんだよね。 それにネットなんかと違って、自分ではコントロール出来ないから、偶然入ってくる音に驚きや感動が大きいのかもしれないわ。

 

youtu.be

 今日はここまで。 最初の4曲は1979,80年に固まっちゃったのは偶然かな。 まぁ、ラジオのうたがアナログ世代になるのは当然よね。