ランキン・ロジャーが逝っちゃった…

3月26日にランキン・ロジャーが亡くなった。 彼は私が大好きな2トーンレーベルの、私が大好きなザ・ビートの、私が大好きなトースター。 肺がんと脳の腫瘍を二つも抱えて、まだ56歳った。 

70年代終わりにパンク、ポストパンクが好きだったら、2トーンのバンドのスカビートに嵌るのは当然の流れで、私もどっぷり嵌ったわ。

陰鬱なスペシャルズ、コミカルなマッドネス、パワフルなセレクター、そして、ザ・ビートはイギリス生まれのスカの中でも、カリプソ色が強かった。 若いランキン・ロジャーのトースティングがバンドを明るくしていた。 亡くなってから知ったけど彼がザ・ビートに加わったときはまだ16歳だったのね。 今、youtubeで昔のライブを観ると、あどけないベビーフェイスで可愛い過ぎる! 

ザ・ビートが生まれたイギリスの工業都市バーミンガムは私は少しの間住んだことがある。 イギリスの中でもジャマイカ移民が多い街で、レゲエのレコードショップがたくさんあったのを覚えている。 道路の端でレゲエのレコードやカセットテープを並べて売っているラスタマンもいた。 2トーンレコードの発祥地はそこから少し離れたコベントリーという町で、バーミンガムはブリティッシュ・レゲエのメッカだ。

ランキン・ロジャーは西インド諸島からの移民の息子でセックスピストルズやクラッシュに嵌ってザ・ビートに加わる前はパンクバンドでドラマーをやっていたという。 ちょっと想像がつかないんだけど、70年代後半のイギリスで、労働者階級で家が貧しかったら黒人であろうと、パンクにはけ口を見つけるんだ。 サッチャー政権に怒りを感じるの人種よりも階級だ。 そんな流れで、スカパンクが生まれたんだと思う。 

白人と黒人が入り混じった2トーンのバンドは、カッコ良かった。 もともとはスキンヘッズて、パンクのスタイルではなくて、西インド諸島からの移民の黒人の坊主刈りの通称だった。 細身のスーツと細いネクタイ。 スカンキングという歩き回るようなダンス。 日本にもマッドネスがホンダホンダホンダホンダのコマーシャルで流行らせて、小学生まで真似してたんだから、凄いブームだったんだね(覚えている人いるかな、ザ・昭和)。

ザ・ビートは後にアメリカの同名のバンドと区別するために「イングリッシュ・ビート」と改名したけど、実は私はこのところ3年続けてこのバンドをノースキャロライナで観ている。 しかし、私が観ている「イングリッシュ・ビート」はデイブ・ウェイクリングのソロバンドのようなもので、オリジナルメンバーは彼しかいない。 デイブは今、アメリカに住んでいるから、頻繁にツアーをして、こんな田舎にまで来てくれる。 そして、ザ・ビートとジェネラル・パブリックの曲をたくさん歌ってくれてとてもありがたいんだけど、ランキン・フルストップはやっぱりランキン・ロジャーでないと、って思ったわ。

そしてランキン・ロジャーの方も、イギリスでザ・ビートを続けて、レコードも出したりしてた複雑なバンドとなった。 無くなるすこし前に、新しいレコードも出したことやUSツアーも予定している、と言うことをインタビューで話していた。 ステージでは前のように走り回れないけど、でも歌を歌うのは問題ないし、スカンキングだってできるって言っていた。 もう2年ぐらい免疫療法を頑張ってみるって言っていた。 見たからには元気そうだった。 そんな矢先に無くなるなんて…、悲しすぎる…。

 

下のビデオは80年代にバンドエイドに対抗?して、2トーンのバンドやUB40などのブリティッシュ・レゲエバンドが団結して、アフリカの食糧危機のためのチャリティ・レコードを出したときのもの。 私はこれが出たとき即12インチシングルを買いました。

この中で黒に金色を入れた髪をしてトースティングをしているのがランキン・ロジャーです💛 R.I.P.

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