「表現の不自由展」のニュースで思ったこと。

表現の不自由展が脅迫や抗議によって3日間で中止されたというニュースには、私はとても驚いた。 おまけに多くの日本人がこの展示作品は不快だと感じているらしい。

私がまず感じたのは、不快な作品をみんなは強制的に見せられているのではないということ。 公共の場に存在したり、公共の電波で流されていて、嫌でも見てしまった、っていうなら、撤退、削除をしてもらいたい気持ちはわかる。 しかしこれは、お金を払って見に行く展覧会でしょ。 見たい人だけが見に行くんでしょ。 どうしてそれがダメなのよ?

スポンサーが地方自治体で税金を使っているから? 税金なんて、市民の望んでいないものに、ガンガン使われているじゃない。 税金を何に使うかは選挙で自分たちが選んだ議員が決めたんだから、その後どうこう言えるもんじゃない。 次の選挙で、候補者をもっとよく考えて投票するだけだ。

「ガソリン携行缶をもってお邪魔します」という脅迫があれば、そこに足を運ぶ人の安全を考えた上で、中止せざるを得ないかもしれない。 でも理由はそれだけじゃなく、大衆の抗議の電話が殺到したことも大きいと思う。 だって名古屋市の市長すら「日本人の、国民の心を踏みにじるもの」って言ってるんだものね。

展示物のクオリティがどうのこうのとか、これは芸術ではないなどの声もあるけど、芸術の良しあしほど、ワケの分かんないものはないのよ。 生前に一枚も売れなくて死後に莫大な評価を得たアーチストがどんだけいることか。 今時何が芸術で何が芸術でないかなんて、一概に語れないんだよ。 

でもたくさんの人がクオリティ以前に、作品に不快を感じていることが私にとっては、とっても怖い。 不快感が湧き出てしまうことには、なす術がない。 これって、今の日本人のマジョリティは右翼ってこと? 軍国主義がまた来るの?

そしてもっと怖いのは、そのマジョリティがマイノリティを封じてしまったこと。 それが今回の「表現の不自由展」の取りやめでしょ。 

アメリカでは、真珠湾攻撃は学校の授業で大きく取り上げられ、クラスの中にいる日本人の生徒は、そのたびに肩身の狭い思いをするけど、広島長崎の原爆投下とその被害については、ほとんど教えてくれないし、アメリカ本土の日本人強制収容所についても同じことだ。

何年か前、オハイオ州の米軍の空軍基地の近くのホテルに泊まったら、ホテルのレストランに「第二次世界大戦のヒーローたち」というタイトルで、エノラ・ゲイの前に並ぶパイロットたちの悠々たる姿の写真が輝かしく飾られてた。 この時私はものすごく不快になった。 そこでパンケーキやベーコンを食べているアメリカ人に対しても不快感が沸き起こったよ。 軍人専用の宿泊所ならまだしも、誰でも泊まれるホテルにこういう写真を飾るってことは、被爆した人たちについては、おそらく何にも知らないのね、って思ったわ。 

愛国心があるなら日本人もアメリカに行って、原爆の絵の展覧会や写真展を開き、ワシントンDCの真ん中に、被爆者の像を立て、損害賠償請求運動をやればいい。 核爆弾の怖さを世界中に広めてやれや。 中国人や韓国人に対してディフェンスばかり頑張るより、アメリカに対してオフェンスを頑張れや。